若宮八幡宮社の朱印

参拝日:2014年4月29日
祭神:応神天皇
          仲哀天皇
          神功皇后
住所:京都府京都市東山区五条橋東5丁目480
2度目の参拝で御朱印がいただけた神社
縁があったらまた行きたい神社
旅行:京都御朱印収集の旅
御朱印初穂料:300円
書人:宮司さん

全国御朱印収集の旅 京都府

若宮八幡宮由緒書き
若宮八幡宮は天喜元年(1053年)に御冷泉天皇が創立された神社でその地が六条左女牛(さめがい)でしたので六条八幡または左女牛八幡とも呼ばれていた。
仏説によると釈迦が入滅された年から二千一年目を末世末法の世の第一年とされていますが、我が国に仏教が伝来した欽明天皇十三年(552年)が釈迦入滅一千五百年に当たると教えられてきたので天喜元年(1053年)をその二千一年目として、たとい世が末世末法に入っても国民が幸福であり国家が繁栄し興隆するようにと念願された御冷泉天皇が都の中に八幡の神として若宮八幡宮をまつられたのである。
若宮という名も新宮の意味から呼びならわされたもので石清水八幡宮の新興が都に渡られたときは必ず若宮八幡宮の社頭に奉安されましたことでも石清水八幡宮との深いつながりがうかがえるものであります。
創立当時の造営に当たったのは八幡太郎義家の父の源頼義で翌年の天喜二年(1054年)から康平五年(1062年)までの九年間、頼義、義家は東北の安倍頼時と子の貞任、宗任を征討する前九年の役に大功をたてました。
若宮八幡宮の祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇でありますが歴代天皇の御尊崇は申すまでもなく源頼朝は建久元年(1190年)と六年とに臨時の大祭を斎行し弟の義経も祖先の頼義、義家にならって社地の近くに居館を構え常に崇敬の誠を捧げました。
足利尊氏以来歴代将軍の幣帛・神馬・社領の奉献・奉納、社参が相次いで行われ、応仁の乱で炎上した社殿も将軍の発起により諸国の武将が協力して造営されました。その後、織田信長が社殿新造のため奉加を洛中に下地しましたが豊臣秀吉は天正十一年(1542年)に社地を東山の御旅所に移し更に十六年に大仏方広寺の北に移しました。秀吉の死後、慶長十年(1605年)に照高院門跡道澄(近衛家出身)が大仏の北の地が神域にふさわしくないとして現社地を寄せられ徳川家康も七十三石余を寄進した。
承応三年(1654年)に後光明天皇は父君後水尾上皇の思召しを奉じて社殿を造営されました。現在の本殿であります。家康の遺志は十四代将軍家茂にまでうけつがれ七十三石余と修理・神饌用の二十六石余とが年々寄進されました。
明治十年(1877年)には本町十六丁目鎮座の塚本社から宮内省によって仲恭天皇の神霊が帰遷されまた昭和二十四年には陶器の町の五条坂の中心に当たりますので陶祖神椎根津彦も合わせてまつられ毎年八月の祭礼には全国からの陶器市で賑わいます。
境内には中御門天皇々女、慶光天皇(閑院宮典仁親王)皇子ほか一宮、孝明天皇の御胞衣埋納所がありますが昭和四十二年が孝明天皇の御百年に当たりましたので八月に天皇の神霊を奉斎し畏こき辺りからの御使いが幣帛を奉られたのであります。

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