師岡熊野神社の朱印

参拝日:2013年12月3日

祭神:伊邪那美尊(イザナミ)

住所:神奈川県横浜市港北区師岡町1137

サッカー日本代表の八咫烏で有名な神社
カメラ充電ミスで写真なし

縁があったらまた行きたい
旅行:散策
御朱印:お気持ち(300円)

書人:宮司さん

全国御朱印収集の旅 神奈川県

師岡熊野神社参拝のしおり
当神社は聖武天皇神亀元甲子年(724年)に全寿仙人によって開かれ熊野山の中腹に鎮座し和歌山県熊野三社(本宮、那智、速玉)の祭神と御一体である。
仁和元年七月には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜りそれ以来宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。数多くの古神事は天歴三年より実に千六十回余にもなる。
観応二年六月十七日雷火のため社殿は消失したが御神体、社宝は無事であり特に貞治三年の熊野山縁起は現存して神社の古事を伝えている。
例えば勅使着用の大口袴は大口の地名に残り供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾字面滝、馬の鎧を納めた鐙宮(阿府神社)参向儀式の行われた式坂、更に「い」の池(指定地域史跡)「の」の池「ち」の池の古事など枚挙にいとまがない。
享禄二年北条早雲公、慶長四年徳川家康公、寛永十九年家光公、寛文五年家綱公より御朱印地を戴いたのを始め代々の将軍家の崇敬極めて篤く神社への御朱印は幕末まで続けられた。
明治元年神仏分離の際、熊野神社と隣接の法華寺とに二分され明治三年には県社に列格したが氏子の陳情するところあって明治六年三十三ケ村の郷社に列した。その後各所の整備造営工事を行ってきたが遂に今般「平成の大修造」と称し覆殿、翼殿をはじめとする壮大な造営事業を実施し面目を一新した。当社は関東地方における熊野信仰の根拠地として横浜北部の総鎮守の宮として古代より現在に至るまで広く篤い崇敬を受けている。

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