高家神社の朱印

参拝日:2013年11月30日
祭神:磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)

住所:千葉県南房総市千倉町南朝夷164

料理の神様

縁があったらまた行きたい

旅行:房総御朱印収集 ドライブ
とても素敵な御朱印が頂けた
御朱印:300円

書人:宮司さん

全国御朱印収集の旅 千葉県

高家神社由来
「日本書紀」の第十二代景行天皇五十二年冬十月の条に祭神、磐鹿六雁命(いわむつかりのみこと)について記されているが延暦八年(789年)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」にさらに詳細に記述されている。
景行天皇が皇子日本武尊の東国平定の事績を偲び安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が弓の弦を取り海に入れたところ鰹を釣り上げまた砂浜を歩いている時足に触れたものを採ると白蛤(はまぐり)がとれた。磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を膾にして差し上げたところ天皇は大いに賞味されその料理の技を厚く賞せられ膳大伴部を賜った。
この功により若狭の国、安房の国の長と定められ以後代々子孫は膳の職を継ぎもし世継ぎ無いときは天皇の皇子を継がせ他の氏を交えず皇室の食事を司るよう賜った。
また大いなる瓶(かめ=べ)に例え高倍さまとして宮中醤院で醤油醸造、調味料の神として祀られている。醤には野菜を発酵させた草醤、穀物を発酵させた穀醤、魚などを発酵させた肉醤があった。今でいう漬物、味噌、醤油、塩辛の三種だがこれらは日本料理の基礎をなすものであり磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁である。
高家神社は延喜式神名帳に登載される小社の一つである。現在のところに祀られたのは江戸時代の初頭にさかのぼる。
元和六年(1620年)現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から木像と二面の御神鏡を発見し社を建てて祀る。
二百年余り後、この鏡面に御食津神、磐鹿六雁命と記されていたことがわかり当時所在があきらかでなかった高家神社の御神体であるとして文政二年(1819年)に京都吉田御所に証を願い御幣帛をいただく。神社拝殿内正面の御神号額はこの時のもので神祇道管領卜部朝臣良長の銘が刻まれている。
江戸時代以降、醤油沿革史の著者田中直太郎(金銚子)氏、料理法大全の石井治兵衛氏、さらには日本料理研究会初代理事長三宅孤軒氏等の労により祭神の御神徳が発揚され今日に到っている。

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