鳥海月山両所宮の朱印

参拝日:2014年5月4日
祭神:倉稲魂命
          月夜見命
住所:山形県山形市宮町3-8-41
拝殿は鳥海山、月山がある神社。
縁があったらまた行きたい神社
旅行:新潟山形宮城福島御朱印収集の旅
御朱印初穂料:300円
書人:神職さん

全国御朱印収集の旅 山形県

由緒沿革
縁起諸(寛永元年(1748年)十一月十一日渾成舎雄淵書)によると康平年間、前九年の役に際し鎮守府将軍源頼義、その子八幡太郎義家は勅命により奥羽平定に下った時飽海郡吹浦の両所神社(現、鳥海山大物忌神社)に戦勝を祈願、凱旋の折康平六年(1063年)正月十八日神恩に報いるため当地に勧請、創建し社領一万石を寄進したとある。以来歴代山形城国土安鎮、国家奉平、古事の宮と称し特に承安年中(平安時代末期)源義経が宝沢村炭焼藤太の子、吉次信高に属して宮殿及び楼門、回廊、鳥居、玉垣を再建、鎌倉執政北条氏もまたこれを修造し元弘の変(1331年)の後は国司がこれを営む。天正十九年(1591年)二月、十一代山形城主最上義光(仙台藩祖独眼竜伊達政宗は義光の妹、義姫の子)は城内二の丸にあった寺、成就院を神社参道西側に移築、別当として最上家の祈願所とする。
文禄四年(1595年)には1150石を寄進し社殿、神殿を再建修理、更に慶長五年(1600年)神殿を修理して壮麗を極めた。慶安元年(1648年)七月十七日徳川幕府より689石の御朱印社領を賜り成就院及び社人に配当し226石を寺領にした。明治維新後神仏分離令により成就院は廃寺となり門前にあった各祈願所は復飾し社領悉く没収されたが明治六年九月には郷社に加列、明治十二年八月十三日には県社に昇格、明治三十六年七月一日神社本庁より別表神社に加列せられた。そして古くから「お宮様」と称され山形市北部の大半を氏子区域とし北の総鎮守として尊崇されている。そして神池にまつわる片目の鯉の話、炭焼藤太の休み石の話、宮町に伝わる七不思議の伝説等々信仰の深さを物語る史実、伝説が伝えられている。

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御朱印帳1冊目(平成25年10月17日~平成25年12月6日)

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