北野天満宮の朱印

参拝日:2014年4月27日
祭神:菅原道真
住所:京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
学生さんがいっぱいの神社
近くに行ったらまた行きたい神社
旅行:京都御朱印収集の旅
御朱印初穂料:300円
書人:神職さん

全国御朱印収集の旅 京都府

北野天満宮由緒
北野天満宮は菅原道真公(以下菅公)をおまつりした神社の宗祀(総本社)で親しみを込めて「北野の天神さま」と呼ばれています。
平安時代中頃の天暦元年(947年)に京都に住んでいた田治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当初に神殿を建て菅公をおまつりしたのが始まりとされます。その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり永延元年(987年)に一條天皇の勅使が派遣され国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満宮天神」の神号が認められ寛弘元年(1004年)の一條天皇の行幸をはじめ代々皇室の御崇敬を受け国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。
江戸時代になると教育施設として各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及しその教室には必ず天神さまがおまつりされあるいは神影(菅公の御姿を描いたもの)が掲げられ学業成就や武芸上達が祈られてきました。現在、全国各地には菅公をおまつりした神社がおよそ一万二千社とも言われその多くは当官から御霊わけをした神社であります。
菅公は世々に「文道の大祖、風月の本主」と仰ぎ慕われ学問の神様としての信仰は昔も今も変わることなく人々の生活の中で受け継がれています。

菅原道真公
菅原道真公は幼少の頃より学業に励み情緒豊かな和歌を詠み格調高い漢詩を作るなど優れた才能の持ち主でした。学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し異例の出世を重ねられた菅公は昌泰二年(899年)右大臣の要職に任命され左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括されます。ところが突如藤原氏の策謀により昌泰四年(901年)太宰権師に左遷されそのわずか二年後、太宰府配所にて波乱の生涯を閉じられました。
菅公は清らかで誠実な人柄と晩年の不遇はさまざまな伝説を生みやがては天神さまと崇められ現在でも盛んな信仰へと展開します。菅公の精神は「和魂漢才」の四文字に集約されるように自国の歴史と文化にしっかりとした誇りを持ち他国の受け入れる寛容さが特徴です。菅公が生涯一貫された「誠の心」は今も日本人の心に生き続けています。

神氏『牛』
菅公は丑年生まれで牛と結びつける様々な逸話が伝承されています。例えば国宝「北野天神縁起絵巻」には父是善卿との出会いの場面をはじめ随所に牛が描かれていて後世人々が菅公と牛の関わりをどれほど重視していたかを知ることができます。
当官では境内いたるところに臥牛(横たわった牛)の像があり古くから「丑の日」の参拝も盛んで牛は神使として天神さまと私たちを取り結ぶ役割を担っています。

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御朱印帳1冊目(平成25年10月17日~平成25年12月6日)

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