三社神社の朱印

参拝日:2014年5月2日
祭神:大日靈貴尊(神明宮)
          誉田別尊(八幡宮)
          武甕槌命(鹿島神社)
住所:新潟県新潟市中央区三和町1−1
コンクリート造りの神社
縁があったらまた行きたい神社
旅行:新潟山形宮城福島御朱印収集の旅
御朱印初穂料:300円
書人:宮司さん

全国御朱印収集の旅 新潟県

三社神社由緒
信濃川を西方に臨み日本海の清風そよぐこの地、当三社神社を中心とする流作場一帯は今を遡る三百年の昔、信濃川河口の河中の大小の島嶼に過ぎなかった。この地に何年もの間の流砂の堆積によって広い面積の島を形成するようになり江戸中期になってこの島(当初、附寄島とも月寄島ともいう)の領地をめぐり長岡藩と新発田藩が幾度も争って遂に長岡藩領とした。しかしその頃はまだ未開の地であり河岸を渡る風飄飄と吹く荒地であった。ここに開拓の鍬が入れられたのは今を去る延亨三年八月(1746年)の事である。翌延亨四年四月二十六日(1747年)に地元開拓事業の人々たちは開墾の成功と安全を祈念して官許を受け一祠を建立した。これが当社創建の由来である。
爾来、度重なる雪害、長江の水禍、又当地特有の恙虫の害等で当時としては大変困難を極めた一大事業であったが寛延三年(1750年)に至って一応の成果を納め。その後、弘化元年には幕府直轄の天領となりこの地一帯を流作場新田と呼称するようになった。御祭神として大日靈貴尊(天照皇大神の別称)を奉祀する事から古くは「大神宮」と呼ばれたが後に「流作場神明宮」と称された。また地元では創建時多大な功績のあった安倍玄的の名にちなみ「玄的のお宮」と通称され流作場の鎮守の杜として近在の人々より崇敬された。大日靈貴尊を奉祀してより七十年後の文化十四年八月には誉田別尊、武甕槌命二柱の神を合祀して御祭神は現在のように三柱の神を御祀りすることとなった。近年、明治に至って三社神社と御社号を改むるに至った由縁はこの三柱の御祭神を御奉斎している事にも依っているのであろう(一説には有名な南郡の三社託宣にちなむとする識者の意見もある)
現在はその流作場の地名もなくなりわずか二百年余りで県都新潟市の中心的な役割を果たす町となり近郷近在はもとより遠く千葉、埼玉県等関東からの参拝者も年毎にふえつつあり新潟市の表玄関である新潟駅周辺を氏子地域とする新しい流作場の鎮守の神として現在に至っている。

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御朱印帳1冊目(平成25年10月17日~平成25年12月6日)

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